自粛警察・放射脳の共通点と、自分が自粛警察にならずにすむための方法

最近、自粛警察なる言葉をよく耳にします。
自粛要請があるにもかかわらず開いているお店をネットで攻撃したり、警察に通報したり、と。
もちろん、自粛すべき時であるし、みんな頑張っているのに一部の人がそれを無視して、結果的にそれがコロナ収束を遅らせている最大の理由だとしたら、許すまじ行為だとは思います。
しかし、少し行き過ぎを感じるのは筆者だけでしょうか?


放射脳

東日本大震災で、福島第一原発の事故が起こったあと、放射能汚染やセシウムによる大気汚染がとりざたられました。
直接的に健康被害を被ることですので、とても気になるのは確かでした。
筆者も、スーパーでみかける福島産の野菜など、大丈夫なのかなあ、と不安に思うこともありました。

そういったちょっとした不安の域を超え、反原発を前面に過激な発言やデモ活動を繰り返す人々を放射脳と呼ばれていたことを覚えてますでしょうか?
反原発事態は、色々な意見があると思いますし、それ自体は悪だとは思いません。
が、そこから暴発的に発展した極端な論調をかざすのが、放射脳な方々と理解しています。

それに準ずるようなニュースなどを目にするようになってから、福島産の野菜など、徐々に気にならなくなりました。
応援の気持ちももちろんありますが、放射脳と呼ばれる方たちが、いかにも信憑性のない都市伝説レベルの言葉を並べているようにしか見えなく、放射能汚染事態、大したことないんじゃないか、と逆に問題意識が和らいでいったように思います。
要するに、彼らがネガキャンをすればするほど、冷めた感じで放射能問題を捉えるようになった、と。
皮肉なもんだな、とその当時は思っていました。

放射能の問題は、何十年もかかる問題です。
しかし、現在、セシウムの量を測定を継続している、という一般の方、少なくとも筆者の住む神奈川県某所では全くみかけません。
いっときの不安でパニック的に放射脳になってしまった方々が多かった、ということですね。

自粛警察

最近、これに近い言葉が流行りつつありますね。
自粛警察です。
自粛警察は、自粛要請を無視して営業しているお店や、出歩いている人々を晒し者にしたり、時に直接抗議活動を行ったりする人々です。

最近では、休業要請のあったパチンコ屋の前で抗議活動を行、自粛派を推す自粛警察の方々が、パチンコ屋まで出歩いて抗議している(全然、外出自粛してないではないか)というツッコまれたりと、何かと話題になっています。

あるいは、山梨県に帰省し、陽性判明後に都内にバスで移動した女性についても、批判を超えた誹謗中傷にまで発展していることがニュースになっています。
SNSのアカウントから、本名や職場が特定されるケースは、こういった事案にかかわらず、ネット界隈では度々起こっていましたが、今回は、もともと一般市民であったはずの自粛警察な方々も、こういった行為に同調するような行為が、たびたび見られます。

もちろん、この女性のとった行為は、許すまじい行為だと思います。
味覚症状がある中で山梨に帰省し、そして友人たちとBBQ、その後、コロナ陽性反応が判明してからバスで帰京、そのことを虚偽報告、と。
すべてが故意の行動であり、自分勝手な行為であることは紛れもありません。
が、それと、第三者である人々が個人攻撃するのは、少し意味が違うと思います。

それもこれも、長引く外出自粛要請により、ストレスがたまっていることが原因の大きな要因ではないでしょうか。
自分はこんなに我慢しているのに、出歩いているやつがけしからん。ましてやコロナに感染しているとなったら、犯罪者として罰するべきだ、と過激な思想へと発展していくのでしょう。
そこは同調しないまでも理解はできます。

でも、そこの線引きは冷静にしないといけません
同じバスに乗っていてコロナに感染させられた当事者ならまだしも、第三者である多くの方々は。

自粛警察にならないために

最近、筆者が心がけているのは、コロナ関連のニュースはみないようにしています。
インターネットを眺めていると、いやでもタイトルは目にしますが、記事の中身は見ないようにしています。
新しい感染者の数や死者の数を知ったところで、自分の生活は、少なくとも緊急事態宣言の間は何ひとつ変わりません

ですから、今は、ひたすら自分のできることをやるのみです。
在宅で仕事をして成果を挙げていくこともそうだし、その合間に子供の面倒を見ることもそうです。
時に勉強もしてスキルアップにも励んでいます。
今できることを、淡々とやるだけです。
先日も記事にしましたが、自粛期間が終わった後のことよりも、自粛期間中だからできることに集中したい、というのは本心そのものです。
こういう心持ちでいれば、他人がどこで何しようと「バカだなあ」程度には思いますが、それ以上の怒りの感情というものを湧いてきません。
どんなルールを作ろうが、どんな罰則を設けようが、それを無視して迷惑をかける奴は必ず一定数いるわけですから。
そう思えば、怒ることは、パワーの無駄、そしてメンタルに悪影響でしかないと事故解決し、どうでもよくなってきます。
そして、その分、アフターコロナに備えた自己成長に時間を費やすことができるようになります。

もちろん、そういったことを咎めることは必要ですが、それは、それを職務にしている方々に任せればいいとは思いませんか?
とにかく、一定数の無法者のために、この貴重な自粛期間を無駄にするのは、もうやめにしませんか?

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